♪竹田えり(えりりょん)の「極上機嫌でいこう!」

作曲家・声優・ファミリーコンサート等で活動している竹田えりのブログです。

昨日、今日思ったこと。

昨日は

阪神淡路大震災から14年の日だった。

私は、西宮市甲子園の生まれ。

当時、私は、東京で、

実家も大阪の門真市に移っていたので難を免れた。

ただ、生まれ育ったところは

かなり被害が大きく、10歳まで住んでいた家も

私が種から育てて屋根より大きくなったびわの木も、何もかも跡形もなくなってしまった。

被災して仮設住宅に住んだ高齢者の孤独死

今、問題になっているらしい。

テレビで特集をやっていた。

震災で、慣れ親しんでいた地域から離れなければならず

新しくコミュニティを形成できず、孤独に亡くなっていくという。

人は人との関係性の中で生きていく。

いや、生かされていく。

孤独な老人も、誰か保護してくれる人がいないのが問題なのではなく

(いや、それも問題だとは思うが)

自分が誰かに働きかけることができないというが

一番つらいのではないだろうか。

テレビの番組では仮設住宅にひとり暮らしをする老人が

四国の女子高校生と文通を重ね、女子高生の相談相手になるということで

生きる力を取り戻していく、というような内容だったと思う。

(家事をしながら見ていたので、違っているところがあったらすみません)

女子高生は、青春の日々に悩みながらも老人との文通に中で、

自分の進路を見出し介護福祉士になっていく。

ヘルパーさんの話では、老人はそれまでは日中もパジャマで過ごすようなことが多かったのが

文通を始めてからは、服装にも気を遣い、シャキっとした身なりで過ごし

表情もいきいきと別人のように活力を感じられるようになったとのこと。

人は皆、誰かのために生きたいのだ。…と思う。

「人は一人じゃ生きられない」という表現は、社会はみんな助け合いだから

誰かの力を借りないと生きていけないのだから…というような単純なものではなく、

(もちろん、それも必要で、感謝するべきことなのだろうけど)

人というものは、もともと、誰かの役にたちたい、誰かのために何かができてこそ

そういう人生が送れてこそ、もともと持っている、「命」がきらきら輝くのだと思う。

行政は、頑張ってくれてるのだと思うけど、

なんだか、「保護」のみに目を向けているような気がする。

それはそれが第一課題であるから、仕方がないと思うし

関わっている人皆一生懸命だと思うけど、

そして、孤独に暮らしている高齢者たちも

きっと、自分たちが本来持っているもの、欲しているものに

気づかずに、単純に保護を期待している部分もあるのかもしれない。

何かできることはないのだろうか。

目に見えることだけでなく。

そういう私も誰かのめに何かがしたくて

こんな文章を書いているのかもしれない。

何にもできなくて、

皆の世話になっちゃうことの方が

多い日常なんですが…(^_^;)